男子ケイリン日本代表の脇本雄太選手。

 

亡くなった母の願いを叶えるため、
初のオリンピックで戦いました!

 

脇本選手のエピソードは、
あの人気漫画「弱虫ペダル」に
似ているところもあります。

 

もっと色んな人に
知ってもらいたい選手です。

 

今回は脇本雄太選手についてご紹介します!

 

プロフィール

脇本雄太 ケイリン 画像

名前:脇本雄太(わきもとゆうた)
生年月日: 1989年3月21日
出身地:福井県
血液型:A型
身長:181cm
体重:74kg
所属:日本競輪選手会福井支部

 

主な戦績

2012年 高松宮記念杯競輪 2位
2014年 アジア自転車競技選手権大会/ケイリン(アスタナ) 優勝
2014年 高松宮記念杯競輪 4位
2016年 トラック世界選手権/ケイリン 5位

 

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自転車を始めたきっかけは?

福井県立科学技術高校出身の脇本選手。

 

50年前に自転車部が
発足したこの高校は、
数多くの選手を輩出し
漫画「弱虫ペダル」の総北高に
負けないくらいの強豪校です。

 

ここで脇本選手は自転車部に
入部するのですが、
そのきっかけは副担任だった
自転車部のコーチや友人に誘われたから。

 

特に長く続けるつもりもなく
街でサイクリングをして遊ぶ部
だと思っていた脇本選手は、
入部して初めて自転車の
強豪校であることに気づきます。

 

サイクリングをして遊ぶ部・・・w

 

確かに自転車部って
なかなか聞かないですが、
脇本選手のちょっと抜けた
この選択が彼の運命を変えました。

 

初めてレース用の自転車に乗ったとき、
なんと当時のインターハイ
優勝タイムを叩き出してしまったのです。

 

始めて1カ月で県大会個人追い抜きで準優勝。

 

高校在学中に国体少年1km
タイムトライアルで二連覇を成し遂げ、
入部わずか1年で
10年に一人の逸材と言われるまでに。

 

驚くのは、元々運動はダメで
中学まで科学部だったということ。

 

まさしく「弱虫ペダル」の坂道くん・・・!!

 

と、思わずにはいられません。

 

卒業後は日本競輪学校に入学します。

 

それも実技試験免除!

 

競輪学校を卒業し2008年、
ホームバンクである福井競輪場で
デビューし初勝利を挙げました。

 

母親や家族について

小学生の頃に両親が離婚し、
すごく貧乏だったという脇本選手。

 

そのため父親の情報はなく、
看護師として働いていた母親・幸子さん
女手一つで兄弟5人を育ててきました。

 

兄1人、姉1人、弟2人。

 

兄弟の中では次男で3番目の脇本選手。

 

そんな脇本選手と
お母さんとのエピソードをご紹介します。

 

母からのプレゼント

あるとき、部が所有する自転車が足りず
新入生に譲らなければいけなくなったそうです。

 

そのため2年生の脇本選手は
自前で自転車を用意する必要がありました。

 

ですが脇本選手は母子家庭。

 

遠征費だけでもお金がかかっているのに、
兄弟5人を育てている母親に
そのことを言い出せなかったそう。

 

どうしたものかと悩んでいると、
ある日部室の前に
真新しい自転車がありました。

 

それは母親の幸子さんが
必死で働いて購入してくれた
自転車だったのです。

 

その額40万円近く。

 

育ち盛りの兄弟5人育てる中で、
普通だったらお金のかかる部活は
やめてほしいと言いそうなものです。

 

それを何も言わず、
サプライズプレゼントで
応援してくれたお母さん。

 

脇本選手は背中を押してくれた
母親の気持ちにこたえるため、
頑張らないわけにはいかないと思ったそうです。

 

その後、国体で見事優勝。

 

そしておめでとうの代わりに
幸子さんは言いました。

 

「日本一の次は世界一になりなさい」

 

この瞬間を想像しただけで
私も胸が熱くなります。

 

この言葉にどれだけの思いが
こもっていたのかと思うと、
家族愛を思うと、ただただ
脇本選手が今オリンピックの
舞台にいることだけで
感動して涙が出そうです。

 

母親の病気と葛藤

母親との約束を果たすため
2008年にプロデビューした脇本選手。

 

大金を稼げる競輪よりも、
ロンドン五輪を優先しました。

 

それは母が望んだ
世界を目指すための決断でした。

 

しかし、そんな時に
幸子さんが入院してしまったのです。

 

直腸癌、それも、末期ガンでした。

 

職場の仲間にはダイエットしていると
病名を伏せて働いていた幸子さん。

 

家庭のこともあり、
自分が大黒柱だからと
体に鞭打って働いていたのです。

 

病気のことがわかった脇本選手は
成績がガタ落ちし、
まともに走れなくなってしまいます。

 

どうしても母親と五輪に行きたい。

 

その気持ちで頑張ってきた
脇本選手にとって、それが
できないならばオリンピックに
出る意味なんてないと
半ばどうでもよくなっていました。

 

それでも幸子さんは闘病中に
脇本選手がオリンピックに出場する
姿が見たいと言い続けました。

 

2011年7月、幸子さんは
51歳の若さで息を引き取ります。

 

その日は福井記念の決勝日でした。

 

レースが終わるまで
知らされずにいた脇本選手。

 

これまで母親のことが心配で
レースに集中できないこともありました。

 

誰しも自分の親が病気したら
心配せずにはいられませんが、
幸子さんはそんな脇本選手が
試合に集中できるよう
いつも配慮を怠らなかったそうです。

 

それだけ、幸子さんは
脇本選手のことを想っていたんですね。

 

それに周りも協力し、
たくさんの人の支えがあって
脇本選手はリオ行きの切符を掴みます。

 

怪我と戦いリオへ

幸子さんの想いを背負い、
脇本選手は再び立ち上がりました。

 

母親と一緒じゃないからと
自分が諦めてしまったら、
母親が悲しむだろうと思ったからです。

 

「俺も諦めてないよ」という気持ちで
2016年7月代表合宿に参加。

 

ダッシュ力を強化するため、
時速75キロで走るバイクを全力で漕ぎ
下半身の筋力強化にも取り組みました。

 

オリンピックまでにできることは全てやる。

 

そんな気持ちを持って参加した
今年7月9日のジャパントラックカップ。

 

ロンドン五輪の銀メダリストや
銅メダリストも参戦していたこの試合は
脇本選手にとって実力を試す
絶好のチャンスでした。

 

予選トップの成績で決勝進出した脇本選手。

 

決勝戦では最初から飛ばしましたが、
前方の選手に牽制され行く手を阻まれてしまいます。

 

ラストスパートをかけたそのとき、
落車してしまったのです。

 

スタジアムが一瞬静まり返りました。

 

この映像は何度見ても鳥肌が立ちます。

 

あのスピードで、落車・・・

 

選手が競り合っている中で
投げ出されてしまった脇本選手。

 

誰もが最悪の事態を想像し、
脇本選手は落車の瞬間
母の顔が頭をよぎったと言います。

 

ですが、脇本選手は立ち上がりました。

 

怪我はしたものの、
幸い大事には至らなかったのです。

 

怪我が軽く済んだのは
幸子さんのおかげじゃないでしょうか。

 

きっと見守ってくれていた、
そう思わずにはいられません。

 

7月12日、母親の命日に、
墓前で金メダルを誓った脇本選手。

 

ケイリンが行われるのは
お盆である8月16、17日。

 

「お盆の時、仏様は家に戻ってくるでしょ。母は家ではなく、リオまで来ますよ。」

 

きっと幸子さんは脇本選手の近くで
応援してくれていたでしょう。

 

弟も競輪選手!

脇本選手の弟で10歳年下の
勇希さんも競輪選手です。

 

脇本選手と同じ高校で
自転車部の部長を務め、
ジュニア日本代表として活躍しています。

 

兄である脇本選手の影響で
自転車を始めた勇希さん。

 

10歳も年齢が離れているので、
脇本選手は弟が可愛くて仕方ないでしょうね。

 

脇本選手はリオの先まで考えています。

 

「東京五輪は弟と一緒に目指す」

 

これも脇本選手と家族の夢です。

 

彼女や結婚は?

脇本選手は現在27歳。

 

結婚を意識する年代ですが、
彼女はいるんでしょうか?

 

もしくはもうパパだったりする・・・?

 

調べてみると、特にそのような
情報は出てきませんでした。

 

もしかしたら影で支えてくれいる
女性がいるかもしれませんが、
今は夢を叶えるため
走ることに没頭しているようです。

 

脇本選手について調べてみると
性格は明るく面白く、
周りを笑顔にさせてくれるような人。

 

取材陣に対しても同様で、
1聞いたら100答えてくれるような
話好きの選手でもあるんだそう。

 

兄弟5人もとても仲が良さそうですし、
脇本選手の周りには
自然と人が集まってくるようですね。

 

そんな脇本選手に彼女ができたら
(もうすでにいるかもしれませんが)
とても大事にしてくれそうな気がします。

 

そろそろ自分も家庭を持ちたいと
考えているかもしれませんね。

 

リオでは1回戦で敗退、
敗者復活戦では僅差の2位で
準決勝進出を果たせませんでした。

 

本当にあと少しが遠かった・・・

 

母や家族の想いを背負って
きただけあって、この結果は
脇本選手にとってとても
悔しいことだと思います。

 

でも、ここで夢を諦めないでほしいです。

 

これまで頑張ってきたことを、
4年後の東京五輪で、また今後の
試合にぶつけてほしいですね。

 

まだまだやれる!!!