「パラリンピック殿堂」って聞いた事がありますか?

 

パラリンピック殿堂とは、
フェアプレー精神で偉大な功績を残した
選手や監督を讃えるもので、
国際パラリンピック委員会が
2006年に制定したものです。

 

今回、日本人選手で初めての
殿堂入りということで河合純一さんが注目されています。

 

その経歴や実績をご紹介します。

 

プロフィール

河合_純一 パラリンピック 画像

名前:河合純一(かわいじゅんいち)
生年月日: 1975年4月19日
出身地:静岡県浜名郡舞阪町(現・浜松市西区)

 

主な戦績

1992年 バルセロナ 50m自由形B1 銀メダル
1992年 バルセロナ 100m自由形B1 銀メダル
1992年 バルセロナ 200m背泳ぎB1 銅メダル
1992年 バルセロナ 100m背泳ぎB1 銅メダル
1992年 バルセロナ 200m個人メドレーB1 銅メダル
1996年 アトランタ 50m自由形B1 金メダル
1996年 アトランタ 100m自由形B1 金メダル
1996年 アトランタ 100m背泳ぎB1 銀メダル
1996年 アトランタ 200m個人メドレーB1 銅メダル
2000年 シドニー 100m自由形S11 金メダル
2000年 シドニー 4×100mmメドレーリレーS11-13 金メダル
2000年 シドニー 100m背泳ぎS11 銀メダル
2000年 シドニー 100m自由形S11 銀メダル
2000年 シドニー 200m個人メドレーB1 銀メダル
2004年 アテネ 50m自由形S11 金メダル
2004年 アテネ 100m自由形S11 銀メダル
2004年 アテネ 100mバタフライS11 銀メダル
2004年 アテネ 4×50メドレーリレー20pts 銀メダル
2004年 アテネ 100m背泳ぎS11 銅メダル
2008年 北京 50m自由形S11 銅メダル
2008年 北京  100mバタフライS11 銅メダル

金メダル:5個、銀メダル:10個、銅メダル:6個 合計:21個

※Wikipediaより抜粋

 

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全盲の理由と経歴について

生まれた頃には左目の視力がなく、
かすかに見える右目の視力だけで
生活してきた河合さん。

 

先天性ブドウ膜欠損症のため右目の手術を受け、
一時は0.1の視力まで回復しましたが、
15歳のときには全盲となってしまいました。

 

中学生で全盲となるなんて
視力に問題なく生活している
自分からすると想像もできません。

 

普通なら希望を失って
しまいそうな状況ですが、
河合さんは幼い頃からの2つの夢を
諦めたくなかったそうです。

 

それは、5歳の頃に始めた
水泳で世界一になること

 

もう一つは教師になること

 

目が見えないから何もできないではなく
目が見えないからこそどうすれば
夢を叶えることができるか河合さんは考えました。

 

静岡県浜名郡舞阪町立舞阪中学校を卒業し、
国立筑波大付属盲学校高等部入学と同時に上京。

 

高校では水泳部に入部し、
慣れない寮生活の中でも点字と
白杖(歩行の際に使う杖)を習得したそうです。

 

また、必死にトレーニングに励み、
全盲となってから2年後の
17歳のときにバルセロナパラリンピックに出場。

 

見事メダルを獲得したのです。

 

銀2個、銅3個と合計5個の快挙を成し遂げます。

 

それでも目標は世界一。

 

金メダル獲得のため河合選手は
その4年後に向けて動き出しました。

 

大学は早稲田大学へ進学し、
教師への道も歩み出します。

 

経歴をたどりながら、
河合さんが全盲であることを
忘れそうになってしまいそうです。

 

きっと目が見えない困難な状況で
たくさん苦しんだと思います。

 

それでも自分を奮い立たせ
周りに希望を与えてきた河合さん。

 

見事その4年後のアトランタでは
金メダル2個を含む4個のメダルを獲得し、
その後のシドニーでは日本選手団主将
を務めるなどして活躍してきました。

 

1997年には教員免許も取得し
全盲では全国で初めて公立中学校の
社会科教師として母校の舞浜中学校に着任します。

 

また、水泳部の指導者にもなりました。

 

2年間休職して早稲田大学大学院
進学するなど勉強も怠りません。

 

これぞまさしく文武両道の鏡。

 

復職してからも今度は選手育成に関わり、
世界ユース日本水泳チームの
監督まで務めるのです。

 

JICA青年海外協力隊として
マレーシアの視覚障害者への水泳指導も
行うなど支援活動も続けながら
北京パラリンピックに出場し、
パラリンピック競技において日本人では
過去最多のメダル獲得者となりました。

 

2009年には東京オリンピック招致のために
IOC総会(コペンハーゲン)に
アスリートとして出席もしているんですよ。

 

2020年の東京オリンピックパラリンピック
のために7年前から活動してくれていた一人です。

 

もう、これまでを振り返るだけで
河合さんの殿堂入りは間違いなく、
日本が誇れる人物の一人ですね。

 

結婚や家族について

2006年、31歳のときに結婚された河合さん。

 

奥さんは同じく公立中学校の
英語教師の方だそうです。

 

今では立派な2児の父。

 

公務員を辞して2013年には
静岡選挙区から参議院議員選に出馬するなど
精力的に多方面で活動していました。

 

現在は日本パラリンピアンズ協会会長、
日本身体障がい者水泳連盟会長を務め
日本スポーツ振興センターに勤務している河合さん。

 

2020年の東京オリンピック
パラリンピック成功に向けて
欠かせない人物ですね。

 

失礼ながら私はパラリンピック殿堂の
ニュースを聞くまで河合さんについて
知らなかったので、今回経歴を調べてみて
こんなに頑張っている人たちのことを
もっといろんな方に知ってもらいたいと思いました。

 

9月のリオパラリンピックに
出場する選手たちのことも特集して
いきたいと思います。

 

また、河合さんの半生を綴った映画
「夢追いかけて」も見てみようと思います。

 

本人役は河合さん、他には三浦友和さん、
田中好子さん、船越英一郎さんなどが出演されていて、
少年時代を勝地涼さんが演じているそうですよ。

 

パラリンピック殿堂入り、
本当におめでとうございます!

 

そして体調に気をつけながら、
2020年に向けてのサポートをよろしくお願いします!