義足のパラリンピアン、山本篤選手。

 

今最もメダルが期待されている
選手の一人です。

 

事故をきっかけに義足となったようですが、
どのようにして陸上競技を始めたのでしょうか。

 

そして気になるプライベートについても
注目してみたいと思います。

 

プロフィール

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名前:山本篤(やまもとあつし)
生年月日:1982年4月19日
出身地:静岡県掛川市
身長:167㎝
体重:59㎏
所属:スズキ浜松アスリートクラブ
出場種目:走幅跳/100m/200m/4×100mリレー
競技歴:14年

 

主な戦績

2008年 北京パラリンピック 走り幅跳び銀メダル 100m 5位
2011年 IPC世界陸上競技選手権 (ニュージーランド) 100m 銅メダル / 200m 銅メダル / 走り幅跳び 銅メダル
2012年 ロンドンパラリンピック 走り幅跳び 5位 / 100m 6位 / 200m 8位
2013年 IPC世界陸上競技選手権 (フランス) 走り幅跳び 金メダル / 100m 4位 / 200m 4位 / 4×100mリレー 4位
2014年 アジアパラ競技大会 (韓国) 100m 金メダル / 走り幅跳び 金メダル / 4×100mリレー 金メダル
2015年 IPC陸上競技世界選手権大会 走り幅跳び 金メダル
2016年 日本パラ陸上競技選手権大会走り幅跳び 金メダル ※当時の世界記録6m56を樹立

※パラサポ公式ページより抜粋

 

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事故の原因は?

山本選手について調べると、
「事故」というワードが出てきます。

 

どうやら義足となった理由が
この事故にあるようですが、
原因は何だったのか気になりました。

 

それは2000年、山本選手が
掛川西高等学校2年生だった春休みのときです。

 

山本選手は自分が乗っていた
スクーターで事故を起こし、
左脛骨を粉砕骨折してしまいます。

 

入院後に壊死が始まり、
熱が出て苦しい日々が続いたそうです。

 

そして手術で左足を
大腿から切断して失ってしまいました。

 

切断を決意した時には、
足を切断したらどうなるのかと
不安に思っていたそうです。

 

そしていざ切断した時には、
一日中泣いたのだそう。

 

それはそうですよね・・・

 

一瞬にして自分の脚を失ってしまうなんて、
目が覚めたら脚がないなんて、
想像するだけでゾッとします。

 

山本選手は自分自身が起こした
事故のせいで足を失ったので、
かなり後悔をしたそうです。

 

ですがこれを機に
新たな道へ進むこととなりました。

 

パラリンピックを目指したきっかけ

元々スポーツが好きで、
小学校の頃は野球、中学校では
バレーボールをしていた山本選手。

 

高校でもバレーボール部に所属し、
垂直跳びでは1mを超える
ジャンプ力を持っていたそう。

 

垂直跳びで1mってどんだけ・・・!w

 

この頃から才能を感じます。

 

事故で脚を失ってしまった山本選手は、
義足を作ったことで興味を持ち
義肢装具士を目指します。

 

そして高校卒業後、名古屋の
日本聴能言語福祉学院
義肢装具学科に入学しました。

 

ここに当時学生として在籍していた
義足スポーツ研究者の稲葉さんから
陸上競技を勧められて陸上を始めたそうです。

 

義足がきっかけで陸上競技を
始めた選手は多いように思いますが、
脚を失っても再び走ることができた
という感動が忘れられないといいます。

 

山本選手もまた、事故を起こした
ことを後悔しながらも前を向いたことで
新たな目標を発見することができました。

 

2003年には全国障害者スポーツ大会で
100m13秒83の日本記録を樹立し
早くも頭角を現します。

 

この頃義肢装具士の国家資格を取得し
就職も決まっていたそうですが、
パラリンピックを目標に
陸上競技を続けることを決めた為、
スポーツ推薦で大阪体育大学
体育学部に入学することとなりました。

 

しかし、当時は山本選手の
入学の可否をめぐって
教授会で議論があったそうです。

 

理由は、当時障害者の
体育大への入学は異例だったから。

 

実技試験の採点方法や、
障害者用トイレやエレベーターの
設置についての問題が指摘された
ことによるものでした。

 

こういう話を聞くと、
日本は障害者への対応が世界に比べて
遅れているように思いますし、
差別的にも感じてしまいますね。

 

このとき、今後障害者スポーツの
注目はさらに高まると考え
受け入れを認めたそうですが、
結果的にこの時点で
認めて良かったと思います。

 

山本選手は障害者スポーツの道を
切り開いてくれた選手のうちの一人なんですね。

 

2004年のアテネでは最終選考会で
標準記録が切れずパラリンピックに
出場できなかった山本選手。

 

しかし2008年の北京では
初出場にして走り幅跳びで銀メダルを獲得します。

 

こうして日本の義足陸上競技選手初の
パラリンピックメダリストとなったのです。

 

その後も記録を更新し続けた山本選手。

 

走り幅跳びのパラリンピアンとして
世界ランク1位でロンドン大会に臨みます。

 

しかし、ロンドンでは惜しくも
メダルを逃してしまいました。

 

理論的な選手である山本選手は
過去のデータを元に原因を分析し、
その後の大会では戦績データにも
あるように金メダルラッシュ!!

 

2016年5月に開催された
日本パラ陸上競技選手権大会では
走り幅跳びで当時の世界記録
6m56を樹立しました。

※今は更に更新しています☆

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この結果で一気に
メダルの可能性が高まりましたね。

 

リオでのメダルが
確実視されている山本選手。

 

いつもの冷静さで
試合に臨んでほしいと思います!

 

結婚や家族について

山本選手のご家族の情報については
特に見つかりませんでした。

 

山本選手は先天的に
障害を持ったわけではなく、
事故で障害者となってしまったので
それまではスポーツ好きな
ごくごく普通の少年として
過ごしてきたのでしょう。

 

年齢も30代ですので
わざわざ家族が出てきて
あれこれ話すということが
ないだけかもしれませんね。

 

リオでメダルを獲得した際には
ご家族のコメントも期待したいと思います。

 

また、彼女の情報もなく
現在結婚もしていない様子。

 

スキンヘッドとくっきりした二重が
特徴的な山本選手ですが、
若い頃の写真を見ると
結構モテそうな気がしました。

 

これだけスキンヘッドが
似合う方もなかなかいないですよね。

 

年齢は違いますが、
女子レスリングの栄監督並みですw

 

栄監督は20歳くらい年の離れた
奥さんをもらっていますので、
山本選手も年齢を気にすることなく
良い相手が見つかるでしょう。

 

もし、すでにお相手がいたら失礼ですがw

 

こちらは分かり次第追記したいと思います。

 

リオで金!!

 

頑張れ山本選手!!