リオパラリンピックから
正式種目となったカヌー。

 

そこに日本からただ一人、
カヌー代表として出場する
瀬立モニカ選手をご存知ですか?

 

ハーフなの?という名前の由来や
苗字の読み方も気になりますね。

 

また、カヌーを始めたきっかけや
障害を負ってしまった事故の
原因は何だったのでしょうか。

 

今回は瀬立モニカ選手についてご紹介します。

 

プロフィール

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名前:瀬立モニカ(せりゅうもにか)
ニックネーム:モニカ
生年月日:1997年11月17日
出身地:東京都江東区高橋
身長:165.5㎝
体重:52㎏
所属:筑波大。江東区カヌー協会
出場種目:カヤック
競技歴:2年

 

主な戦績

2014年 第1回日本パラカヌー選手権大会(小松市木場潟湖) 女子KTA優勝
2015年 2015パラカヌー海外派遣選手選考会(坂出市府中湖) 女子KL1優勝
2015年 2015 世界パラカヌー選手権(イタリア) 女子KL1第9位
2015年 第2回日本パラカヌー選手権大会 (小松市木場潟湖) 女子KL1優勝

※パラサポ公式ページより抜粋

 

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事故や障害の原因は?

瀬立選手は「体幹機能障害」
(外傷性脳損傷、中等度両下肢麻痺)
を持っています。

 

体幹機能障害とは、脊髄損傷や
頚椎損傷の後遺症などによる体幹
(頸部、胸部、腹部及び腰部)の
機能障害により体位の保持等に
困難を生じるものを言います。

 

噛み砕いて説明すると、
瀬立選手の場合は下半身の
コントロールができない状態で、
座った姿勢を保つことすら難しいのです。

 

そのきっかけは高校時代の事故にありました。

 

瀬立選手は宝仙学園理数インター高校時代、
体育の授業で倒立をした時に転倒し
脳と胸椎を損傷してしまったのです。

 

そして体幹機能障害となり
車いすでの生活となっています。

 

もともとはスポーツを掛け持ちするほど
運動神経が抜群だったという瀬立選手。

 

運動神経の良い方でも、
打ち所が悪くこのようなことに
なってしまうこともあるんですね。

 

瀬立選手はこれまでの生活との
ギャップにかなりショックを受けたようです。

 

そしてしばらく引きこもりがちに。

 

しかし、カヌーをきっかけに
明るさを取り戻しました。

 

カヌーとの出会いはいつだったのでしょう。

 

カヌーを始めたきっかけについて

もともとバスケットボール部に
所属していた瀬立選手ですが、
中学2年生のときにカヌーを始めたそうです。

 

江東区立深川第一中学校時代、
区立中学校合同カヌー部にも所属し
バスケとカヌーを掛け持ちしていたそう。

 

なぜカヌー?と思ったのですが、
きっかけは中学時代に発足した
区内の合同カヌー部に入らないかと
先生から誘われたからだそう。

 

失礼ながら私の中では
カヌーといえば田舎にある広大な湖で
自然を楽しむイメージだったので、
東京都内に競技として力を入れている
学校があったことにまず驚きました。

 

そしてすっかりカヌーの楽しさに
ハマってしまった瀬立選手でしたが、
事故の後は寝たきり生活が続き
カヌーからも遠ざかってしまいます。

 

しかし、高校2年生のときに
地元・江東区のカヌー関係者から
声をかけられてパラカヌーに挑戦することに。

 

カヌー競技に復帰した瀬立選手は
徐々に明るさを取り戻していったのでした。

 

それでもすぐにカヌーを再開しようと
思ったわけではありません。

 

下半身を思うように動せず
座った姿勢すら保つのが難しいので、
どうせできないだろうと思って
半信半疑でチャレンジしてみたそうです。

 

そして実際乗ることができたとき、
「自分にも出来るんだ」と感動して
練習を再開したのだとか。

 

このときの感動は瀬立選手にとって
生涯忘れられないでしょう。

 

パラリンピックに出場している選手は
「できた」という感動に突き動かされた
と話してくれる方が多いです。

 

できないことよりもできることに
自分自身が目を向けられたときに、
前に進めたということなんですね。

 

パラカヌーはリオから
正式競技になりましたが、
瀬立選手は大どんでん返しで
リオへの切符を掴んでいます。

 

パラカヌー出場権が与えられるのは
世界選手権で10位までの選手のみ。

 

実は瀬立選手、今年の
世界選手権の結果は11位だったんです。

 

しかし中国の選手が失格になった為、
繰り上げでリオへ行けることになりました。

 

気持ちは悔しさから嬉しさへ一変し
思わず嬉し泣きしたそうです。

 

それはそうですよね。

 

4年後と思っていたパラリンピック出場が
数ヶ月後に決定したのですから。

 

瀬立選手はKL1・カヤックで
最も障害が重いクラスとなります。

 

腹筋や下半身を使えないので、
座ることも難しい状態で
腕の力のみでカヌーを漕ぐんだそうです。

 

もともと運動神経が良いといえど
腕の力のみで漕ぐのは至難の技でしょう。

 

それでも瀬立選手は
筋力トレーニングや体力作りに励みました。

 

今年4月からは筑波大学
体育専門学群
に進学し、
ストロークに更に磨きがかかった様子。

 

ウェイトトレーニングで鍛えた
肩の筋肉が自慢だという瀬立選手。

 

レース中盤の華麗なストロークに注目です!

 

家族やハーフ説について

瀬立選手のハーフ説についてですが、
名前の「モニカ」はハーフだからではないそうです。

 

「モニカ」という名前は母親・キヌ子さん
クリスチャンネームからつけられたそうで、
瀬立選手は生粋の日本人。

 

キヌ子さん自身も生粋の日本人だそう。

 

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キヌ子さんは看護師として働いており、
家では唯一の働き手です。

 

父親の情報が出てこないので、
おそらく母子家庭なのかと思われます。

 

瀬立選手の事故の直後、
キヌ子さんは娘を自宅に一人残して
働きに出ざるを得ないのを
かなり心配していたようです。

 

変な気を起こさないように
家中の刃物を隠したというくらいですから、
瀬立選手の落ち込みようは
想像以上にひどかったのかもしれません。

 

それでもキヌ子さんは
「あなたは笑っていなさい。」
と励まし続けました。

 

瀬立選手がカヌーを再開し
少しずつ明るさを取り戻すように
なってからは、キヌ子さんは
できるだけ娘との時間を
増やすようにしたそうです。

 

フルタイムで看護部長として
働いていた仕事も抑え、
送迎や介助などできることは
何でもやりました。

 

責任のあるお仕事をしながら
一家の大黒柱としての役割も
あるキヌ子さんですが、
この決断が瀬立選手にも
元気や勇気を与えてくれたのでしょう。

 

瀬立選手はキヌ子さんのことを
「空気みたいな存在。その中でも酸素」
と言っているそうです。

 

それだけ大切でなくてはならない
存在ということですね。

 

この親子の姿を見て支援の輪が広がり、
区や企業、区民らが用具、設備、
資金などを提供してくれるようになりました。

 

たくさんの人の想いも背負って挑む
リオパラリンピックなんですね。

 

彼氏はいるの?

笑顔の可愛い瀬立選手。

 

 

周りに自然と人が集まるのも
瀬立選手の人間的魅力が
そうさせているのでしょうね。

 

彼氏についての情報は
特に見当たりませんでしたが、
瀬立選手はとにかく性格が
明るくて面白いと話題です。

 

現在の姿に立ち直るまでは
かなり苦労している選手ですが、
その個性的な魅力にハマる方も多い様子。

 

NHKの番組で紹介された際には、
「タレント枠で活躍できる」との
視聴者からのコメントもあったようですよw

 

もし彼氏がいたとしても、
友達付き合いからその延長線で
という感じかもしれませんね。

 

こちらについては情報が分かり次第
追記したいと思います。

 

このルックスと明るさで、
これからもっとファンが増えるでしょう。

 

今後も技術に磨きをかけて、
パラカヌー界を盛り上げてほしいと思います!

 

リオオリンピックでは
羽根田卓也選手が日本人・アジア初の
銅メダルを獲得しているので
瀬立選手にも刺激になっているようです。

 

リオパラリンピックでの活躍を期待しています!