パラリンピック選手

伊藤真波の事故の原因は?バイオリン演奏や仕事と旦那についても

パラリンピックで水泳選手として登場する伊藤真波(いとうまなみ)選手。
※ご結婚されており、旧姓は野村真波(のむらまなみ)さんです。

右腕を事故でなくしたことにより、これまでの夢や好きなことを諦めようとした時期もあったと語ります。

そんな伊藤選手が最近注目を浴びているのが「バイオリンを義手で弾く姿」です。

ぴよ子
ぴよ子
バイオリンって、あの弦楽器のバイオリンだよね?繊細な動きで色々な音を奏でる楽器だけれど、義手で演奏するなんて想像できない!

今回は2020年のパラリンピックでも活躍が期待され、バイオリニストとしても注目を集めている伊藤選手。

伊藤選手が腕をなくした事故の原因や夫と今も諦めずに掴み取った「夢の仕事」についてご紹介していきます。

もちろん、注目を浴びているバイオリンの演奏も載せていきますので、楽しみにしていてください♪

伊藤真波のプロフィール

このバイオリンを奏でているのが伊藤真波選手です。

私は最初、友達がこのツイッターを見ているのを画面を見ずに側で聴いていただけでしたが、「すごくいいね!」と声を掛けると、その子がスッと私に画面を見せてくれたのです。

その画面がこのTwitterの映像でした。

最初は普通の映像と何が違うのかわからず、伊藤選手の義手に気づくのに少し時間がかかりました。

伊藤選手は方から腕ではなく、義手をした状態でこの綺麗な音色を奏でていたのです。私はこんなにすごい人がいるのか!と鳥肌が立ちました。

この伊藤選手がコレまでパラリンピックに出場し、すごい成績を残していると知ったのはそれからすぐのことです。

まずはこの伊藤選手の簡単なプロフィールについてまとめていきましょう。

  • 名前:伊藤真波(いとうまなみ)
  • 旧姓:野村
  • 生年月日:1984年生まれ
  • 出身地:静岡県

伊藤真波さんは静岡県出身で5歳の頃から水泳を始めました。

生まれたときは五体満足でやんちゃな少女、水泳は褒められたことはなかったそうですが、ずっと続けてきたものでした。

伊藤選手が右腕を失ったのは20歳の頃、交通事故でした。(また詳しくご紹介いたします)

それからリハビリを重ね、5歳の頃からやっていた水泳に復帰し、パラリンピックに出場するまでの選手に成長しました。

これは生半可な覚悟と練習量ではかないません。

では、パラリンピックでの成績も簡単にご紹介していきましょう。

パラリンピックの戦績

2008年北京パラリンピック

  • 100m平泳ぎ:4位
  • 100mバタフライ:8位

2010年アジアパラリンピック

  • 100m平泳ぎ:2位

2012年ロンドンパラリンピック

  • 100m平泳ぎ:8位

なんと、アジアパラリンピックでは平泳ぎ100mで2位という好成績を残しています!

この成績は素晴らしいですね。

日本人は外国の方よりもパワーや筋肉が足りないと言われている中で、世界の強豪選手に勝っていたのです。

もともと水泳をしていたこともありますが、伊藤選手が腕を事故で失ってから、また水泳を頑張ろうと思ったきっかけは、リハビリ時代に一緒になっていた車椅子のバスケット選手との出会いです。

両足が不自由で、何度も転んではそのたびに起き上がる彼の姿を見て、「自分もこのままではいけない!」と、水泳を始めることを決意しました。

リハビリを終えたのが2007年のこと、伊藤選手はその翌年の2008年のパラリンピックに出場をしています。

もし、事故に合わずに、この車椅子のバスケットマンに会わなければ、伊藤選手の人生も大きく変わっていたのかもしれません。

しかし、なぜ伊藤選手は腕を失ってしまったのでしょうか?

事故の原因は?

伊藤真波選手の腕を奪った事故は彼女が20歳のときに起こりました。

小さい頃から看護師になるのが夢だった伊藤選手は、専門の学校に通っていたのです。

  • 高校:静岡県立清水西高等学校衛生看護科
  • 専門学校:静岡県医師会看護専門学校 入学

看護師の夢一直線で進んでいることが、学校を見ているとわかりますね。

高校の頃から看護科を選んでいることから、本気で看護師を目指していたことがわかります。

しかし、専門学校に入って1年が経ったときの2004年、伊藤選手が自身の趣味で乗っていた中型バイク、そのバイクで交通事故にあってしまったのです。

ぴよ子
ぴよ子
大きなトラックとの衝突事故…家を出てから数分後のことだったんだって。

前の日、雨で地面が濡れていたから、それも事故の原因の一つだろうね…

病院に運ばれた伊藤選手は、医師から腕切断を迫られます。

腕の切断、その頃の伊藤選手には「看護師になる」という夢を追っている真っ最中で、腕をなくすことによって、

  • 注射が打てなくなる
  • 緊急事態に迅速な対応がしにくい
  • 先生のサポートを円滑にできなくなる可能性がある

切断するときは伊藤選手は色々と考えたことでしょう。

当時、切断を拒んだ伊藤選手でしたが、それを母親が説得したのです。

腕を切断せずに残すためには、その右腕についてしまった砂利やトラックの油を落とさなければ、菌が入って体に回ってしまいます

※右腕はトラックのタイヤに巻き込まれていたのです。

汚れを落とすために用意されたのは、塩水とたわし…麻酔もかけられない状態でボロボロになった腕を塩水で洗いタワシでこすらなければならず、その時間になると逃げ出したくなり、治療では叫び声が病院中に響いていました。

それでも伊藤選手は初めて自分で看護師になりたいと強く思い、努力してきた夢のために腕を切断する決断はできませんでした。

しかし、とうとうしゃべることさえできなくなるくらい老衰し、母親からも必死に説得されてやっと腕を切断するという決断をしました。

その時の絶望と恐怖はどれほどのものだったでしょうか。

本人にしかわからない気持ちでしょうが、想像しただけで私まで辛くなってきます。

腕の切断を機に、伊藤選手は一度看護師になるという夢を諦めてしまうのです。

諦めずに掴み取った夢とは

事故にあって腕を切断したのが20歳、しかし、現在伊藤真波選手は看護師として働き、水泳選手としてパラリンピックに出場、そして一人の母としてニコニコしながら生活をしています。

一度は腕と一緒に諦めかけた夢が、今は彼女の中にすべて揃っているのです。

彼女が諦めなかった夢とは?

どうやってここまで立ち直ったのでしょうか。

掴み取った看護師の仕事

姉弟3人の真ん中に生まれた伊藤真波選手の夢は看護師、この夢は母親の姿を見て幼い頃から考えていた夢でした。

そのときのお話を公演のときにされていましたので、ご紹介いたします。

勉強は大嫌いで仕方がなかったのですが、どうしても看護師という夢をかなえたいと思うようになりました。というのは、野村家の親戚に医療従事者が1人も居らず、姉弟3人がそれぞれ風邪をひいたり怪我をしたりで、母親が「今日の救急病院はどこだ、何時まで開いているんだ」とバタバタしている姿を見て、幼心に「母親を助けたい、母親の頼りになる存在になりたい」と思ったからです。そして小学校の頃に看護師を目指すようになりました。

http://www.kitayama.gr.jp

しかし専門学生の頃、交通事故による片腕の切断で一度は看護師になるという夢を諦めていた伊藤選手、それどころか家に引き籠る覚悟をして、一生静岡から出ないと決めていたんです。

リハビリの間に色々な人と出会い、自身を見つめ直しました。

その出会いの一つが、先ほどもあげました車椅子のバスケット選手たちですね。

「一度しかない人生をもう二度と後悔したくない」

その思いが心に溢れ、夢に向かってもう一度頑張ろう!と、兵庫県立リハビリテーション中央病院にて義手製作に取り掛かりました。

そして2007年に神戸百年記念病院の看護師となることができたのです。

日本初の片腕義手の看護師です!今までやった人がいないことに挑戦し、成功するなんて本当に素晴らしいことです。

その義手では、肩甲骨を動かしフックを開閉させることで、点滴や注射など何でもこなす事ができるようになりました。

伊藤選手の努力と、それを支えた人たち、そして義手を作り出したテクノロジーのすべてが合わさって叶えることができた夢だったんですね。

講演では様々な経験を通じて“あきらめない”という言葉の本当の意味や、人の絆の大切さなどを公演で伝えています。

バイオリンを通して人々に伝えたいこと

パラリンピアンとして好成績を残し続けた彼女は、片腕でも不可能はないことを証明するため、水泳だけでなくバイオリン演奏も始めました。

公演に回ると多くの人々に「諦めない心」の大切さを伝える一環としてバイオリンを演奏します。

この演奏で多くの方が

  • 感動した
  • 勇気をもらった

と感想を述べています。

たくさんの方が彼女の声に、人生に、努力に、パワーを貰っています。

公演会の内容もアップされていますので、ぜひご覧ください。

彼女の葛藤や思いが、リアルに伝わってきます。

▶伊藤真波選手の講演会の内容◀

旦那や子供について

2015年にご結婚すると同時に、看護師も退職しました。

女の子を出産して今は『片腕の母』としても活躍し、ニコニコ笑顔で過ごしています。

旦那様のことやお子様のことはまだそんなに情報が上がっていない状態ですが、幸せそうにしているということだけはわかります。

最後に一言

私が特に彼女の言葉で心に残ったのは、「できなくなることを嘆くのではなく、できたことを数えるようになってから変わった」

あることが当たり前、こんなのできて当たり前、今日朝起きることですら当たり前と思って過ごしていることに気付かされました。

何も当たり前のことではありません。

明日には病気になるかもしれないし、頭が働くなったり体が動かなくなったり、もしかしたら起きられなくなるかもしれません。

伊藤選手の講演の内容を聴いて、今できていることを「当たり前」と思わずに、幸せだな、感謝だなと思えるようになりました。

そのようにあるものを当たり前として思わないことで、もし本当にそうなってしまった時、私はきっと生きることを諦めずに立ち直ることができるかもしれません、自信はありませんが…。

いろいろな困難を乗り越えてきた伊藤選手の言葉は、私達の心に残るものばかりです。

胸を張って生き生きとしている伊藤選手を見習って、私も自分自身を見つめ直したいと思いました。