バレー

中田久美監督の若い頃や現役時代の伝説とは?天才セッター呼ばれた理由

日本代表バレー選手が集まる「火の鳥NIPPON」

その監督を務めるのが中田久美(なかだくみ)監督です。

バレーの選手たちに厳しい練習をしていたり、時には激しい叱責を飛ばしたりという姿がテレビでも放送され、バレーを知らなかった方からも注目を集めるようになってきました。

バレーに詳しい方の中には、「中田久美ほど監督にふさわしい人はいない」というほど、中田監督に期待を寄せている方は多いです。

もともと中田監督は日本代表の選手で、天才セッターとも呼ばれていました。

ぴよ子
ぴよ子
中田監督がもともと選手だったことは知っているけれど、「天才」と呼ばれるなんて…そんなに凄い選手だったの?

今回は、ここまで評価の高い中田監督の若い頃や現役時代のことをご紹介いたします。

中田久美のこれまで

「魔球サーブ」の名を広めた日本のエース「木村沙織選手」

木村選手が引退したことにより、「日本の絶対的エース」を失った日本代表チームの成績は、低迷する一方でした。

そんな中、日本代表の監督を任されたのが中田久美新監督です。

監督が変わるということは練習方法やチームの方針、そして雰囲気までもガラリと変わります。

中田監督への期待は大きく、そしてその期待を裏切らない成果を右肩上がりで出しており、ここまでの戦いで多くのファンが中田監督を支持するようになりました。

そんな凄腕中田久美監督についてご紹介していきましょう。

プロフィール

  • 名前:中田久美(なかだくみ)
  • 生年月日:1965年9月3日
  • 年齢:53歳(2018年)
  • 出身地:東京都練馬区
  • 身長:176cm
  • 体重:62kg
  • 血液型:A型
  • 過去のポジション:セッター
  • 指高:229cm
  • 利き手:両利き
  • スパイク:305cm
  • ブロック:289cm

経歴

もともと中田久美監督がバレーを始めたのは母親の助言からです。

中学生からバレーを始め、中学3年の1980年に大谷佐知子選手と共に史上最年少の15歳で、全日本代表に選出されました。

その頃はセンターとしての採用でしたが、それからすぐに、セッターの素質があるとポジションがセッター転向、この時心の中では「私、全日本のセンターなんだけど?」と思っていたようですが、結果的に才能を開花させることに繋がります。

高校ではさらにバレーに集中するために通信で通える高校を選択しました。

  • 出身中学:練馬区立練馬東中学校
  • 中学2年:山田重雄の英才教育バレーチーム『LAエンジェルス』に2期生として入団
  • 出身高校:通信制のNHK学園高校

とにかくバレーボールに青春を注ぎ、バレーとともに成長してきたと言っても過言ではありません。

その環境も中田監督の才能を開花させた理由でした。

高校生になった1981年、中田監督は日立ベルフィーユというバレーチームに入団し、センターからセッターに転向してわずか1年でスタメンを獲得しました。

高校生がそのレベルに達するなんてすごいことです!

このときが中田監督16歳の時。

中田監督がセッターになってからのことを簡単にご紹介していきます。

  • 日本リーグ(現・プレミアリーグ)デビュー:当時最年少
  • 1983年:日本代表スタメンセッターとなる
  • 同年:アジア選手権で優勝
  • 1984年:ロサンゼルス五輪で銅メダル
  • 1986年9月:世界選手権で主将を務める
  • 同年11月:練習中に右膝前十字じん帯を断裂
  • 1988年:ソウル五輪に出場
  • 1992年:バルセロナ五輪に出場

〜その後現役を引退〜

1996年:アシスタントコーチに就任

  • バレーボール解説者
  • スポーツキャスター
  • タレント

として活動

2016年10月25日:日本バレーボール協会理事会にて満場一致で、バレーボール女子日本代表の監督に選出

オリンピックにスタメンとして3回も出場した経験があるのですね。すごい!

しかも中学生からバレーを初めて高校生には日本代表入り…人生をバレーに捧げてきたということがよくわかります。

中田監督が現役時代の動画を見ていると、解説の人が「中田の〜」「中田が〜」とトスを褒めている会話が聞こえてきます。

その動画ものちほどご紹介いたしますね。

中田選手の経歴をさらっとまとめましたが、それだけでも凄い選手だったということがわかります。

では、もっと「伝説」や「天才」と言われるようになった理由をご紹介していきましょう。

伝説のセッターと言われる理由

セッターというポジションはアタッカーにトスを上げる役割の選手です。

つまり、防御から攻撃に移るための重要なポジションで、攻撃の要とも言えます。

しかも、中田監督はもともと左利きでサーブの左で打っていたにもかかわらず、アタックは右でも打つことが可能なのです。

だいたいの選手には利き手があり、コースが読まれやすくなりますが、両手が使えるってすごいことなんですよね。

左利きなのにトスを上げるセッターは勿体ないと思うファンも当時は多かったですが、同じチーム内のセンター江上由美選手とのコンビプレーが注目を浴び、そういうことを思うファンも少なくなりました。

中田選手にレシーブが帰ってこないときは、江上選手に上げてもらったトスを自分がアタックするという、ライトの役割もできるという素晴らしい選手だったんですね!

どんな体勢からも正確にトスをあげる中田選手は毎回解説者も注目しています。

では、その動画をご紹介いたします。

音楽がなっているので聞き取りにくいですが、解説者がよく中田選手を取り上げているのがわかりますね。

また、正確にアタッカーのところへトスを出すのも素晴らしいです。

相手から点を取るのは何も強いアタックだけではない!

テクニックも必要になり、今の日本代表にはそれが足りないと見極めているのも中田監督でした。

トスだけではなく、相手コートに決めるその洞察力は簡単に身につくものではありません。

伊達にオリンピックに3度も出場してきたわけではありませんね!

また、中田監督が本当の天才と言われたエピソードがこちら。

トスがすごく正確すぎるがために相手にコースを読まれてしまう、と言われたため、あえてタイミングをずらし、しかしスパイクがしっかりと決まるようにトスを飛ばす。

こんなこと、簡単にできることではありません。

レベルが高いからこそ、あえてずらすことができているのです。やっぱり中田監督ってすごい!!

しかし、中田監督がすごかったのはその結果だけではありませんでした。

若い頃に立ちはだかった壁

中学生の頃からすでに活躍していた中田監督ですが、バレー人生を左右するほどの大きな壁にぶつかったこともあります。

1986年:右ひざ十字靭帯段裂

右ひざ十字靭帯段裂の治療後の主な症状

  • 「膝がぐらぐらする」
  • 「膝に力が入らない」
  • 「膝が完全に伸びない、正座ができない」
  • 「スポーツ復帰して何度も膝を外してしまう」
  • 「膝が腫れて、熱をもつ」

診断は全治一年半で、更に完全に復帰するのは難しいとさえ言われていました。

その頃はソウルオリンピックに向けて情熱を燃やしていた最中だったのです。

一年半も待っていては確実に2年後のソウルオリンピックには出場できません。

1987年はとにかく治療に専念する年となりました。

  • 早く復帰したい…
  • チームに戻りたい

一体どんな思いでリハビリを受けていたのでしょうか。

今考えると、そんな経験があるからこそ、怪我した選手の気持ちも理解できる監督になっていらっしゃるのかもしれませんね。

中田監督はソウルオリンピック出場できないのか…みんながそう思っていましたが、なんとたった10ヶ月で怪我を完治させ、チームに復帰してきたのです!

うさ子
うさ子
普通はありえない速度だよ!だって、あれだけひどい怪我をして、医者からは全治1年半、今までどおりにバレーができないかもしれないとまで言われていたのに……それを半分の期間で治すなんて!

しかし、やはり完璧に完治しているわけではありませんでした。

ソウルオリンピックが開催される前に、少しでも状態を良くしたいと、オリンピックがある1988年2月に再びメスを入れたのです。

本当にギリギリでした。

下手したらソウルオリンピックに出場できなかったかもしれません。

しかし、それよりも今のまま出場しても力を発揮できず、負けてしまうことのほうが中田監督にとって怖かったのでしょう。

もちろん、その手術のリハビリも試合前になんとか間に合わせ、しっかり出場しています。

その試合では、金メダルだったソ連を倒し、ペルーと決勝で戦っていました。

スコアは「13ー12」

決勝まであと2点!これは日本も金メダルを取れるかもしれない!そう思っていましたが、なんと反則で2点取られ、そのままペルーには敗れる結果に…しかし、「後2点で金メダルを取れた日本」と日本バレーが世界から注目を浴びた瞬間でした。

また、その試合で大きく貢献した中田監督は

世界も目指すなら「セッターの中田久美」がいないと!

と言われるまでに。

これまでに数々の素晴らしい試合を見せてくれたのが、「中田久美」というバレー選手です。

まとめ

中田久美監督が選手だった頃を、よく伝説とか天才とかいいますが、実際のところどんな活躍をしてきたのか知らない。

そんな方も多かったと思いますが、この記事を見て、中田監督の若い頃の凄さを少しでも分かってくだされば私も嬉しいです。

最年少で日本代表になり、日本一のセッターとなった中田監督の前には数々の困難が待ち構えていました。

しかし、それを乗り越えることができたのは、本人のバレーにかける思いが強かったからにほかなりません。

これまでたくさんの選手を見てきましたが、やはりその中でも中田監督の現役時代は素晴らしいです。

だからこそ、今の選手達に厳しく、愛を持って接することができているのだと感じました。