フィギュアスケート

羽生結弦の父親の職業は校長先生!勤め先の学校はどこ?

フィギュアスケートで人気の羽生結弦(はにゅうゆずる)選手ですが、世界中から注目を集めている選手なのにもかかわらず、彼のご両親については全然情報がない状態です。

特に結弦選手の父親の羽生秀利(はにゅうひでとし)さんはメディアが嫌いなのか、全然顔を出してくれません。

ぴよ子
ぴよ子
実は学校の先生で、とても厳しい人という噂を聞いたけれど、それって本当?

もしそうなら、メディアに出てこない理由は仕事にも関係するのかな?

今回はそんな謎に包まれた羽生結弦選手の父親、羽生秀利さんについてご紹介していきます。

羽生結弦選手の父親について

羽生結弦選手の父親は羽生秀利(はにゅうひでとし)さんです。

オリンピックで活躍した選手たちは、ご家族にインタビューが行くものですが、結弦選手の父親にインタビューした形跡は残っていませんでした。

一体どういう方なのか…全然姿を見せないことで、「離婚している?」と噂になったこともありますが、とんでもないです!

結弦選手の心が折れそうな時、足を怪我してスランプになった時、それを支えてきたのは厳しくも愛情深い父親でした。

人格者である秀利さんは、一体どんな仕事をされているのでしょうか?

父親の仕事は?

羽生秀利さんは若い頃から中学校の先生として生徒たちの教育に携わってきました。

中学校の先生である秀利さんの専科は「数学」「技術家庭科」です。

優しい雰囲気の秀利さんらしい専科ですね。

(実はこんなに優しそうに見える秀利さんも「鬼」と言われている時代も…詳しくはこちらから)

また部活の顧問も請け負っており、若い頃に経験がある「野球部」で生徒たちを指導しています。

羽生秀利さんがどこの中学校に所属しているのか調べてみました。

  • 宮城県石巻市立湊中学校教頭

宮城県の公立中学校の教頭先生になられていることがわかりました。

元となる情報はこちらです。

参照:https://prcm.jp/album/cleamy/pic/39263573

私は中学の時の教頭の名前は覚えるどころか、呼んだ記憶もないですが、「羽生」という名字は珍しい上に、羽生結弦選手が活躍しているので、注目を浴びているようですね。

上に貼っている写真のコメントは2014年12月のもので、湊中学の名前が出ていますね。

時系列としては下から古い順なので、「湊中学ですか?」の問に返答はありません。

もっと色々な情報を調べていたら、このような情報を発見しました。

2014年に結弦選手が湊中学へ訪れたことに関してのツイートです。

2014年8月にコメントされていますね。

  • 「湊中の前の教頭だかが羽生結弦の親だったからかな」
  • 「去年までいたけど違う学校に行った」

とコメントが続いています。

このツイートによると、2014年には湊中学を去っていたことになりますね。

この学校は宮城県、そして羽生家も宮城県出身…宮城県なので、2011年3月11日の東日本大震災で被災した地域でもあります。

その関連で同年の24時間テレビで、結弦選手がサプライズで湊中学校を訪れアイスショーを行いました。

これには生徒たちだけでなく先生たちも大歓喜!

そして悔しがる卒業生たち。

全く関連をもてなくて、うらやましがる私。

被災してから約3年、結弦選手が登場したことでどれだけの人が元気をもらったことでしょう。

お父さんが働いているうちに行けなかったのは残念ですが、お父さんもメディアに顔をだすのがそんなに好きではないので、良かったのかも知れませんね。

では、時系列に秀利さんの中学校をご紹介していきますね。

  1. 〜2014年:宮城県石巻市立湊中学校教頭
  2. 2014〜2016年:宮城県宮城郡利府町立しらかし台中学校教頭
  3. 2016年4月~:宮城県多賀城市塩釜市立第三中学校校長

湊中学から転勤した先はしらかし台中学校、そこでも野球部に関わりながら子どもたちを教育していました。

そして2016年、ついに校長先生となり、その中学校を支える存在となった秀利さん。

結弦選手はリンク上で夢や希望を与え、秀利さんは下から子どもたちの精神面と教育面を支えていたのですね。

素晴らしい親子です。

2018年の年始には全校集会でこのようなコメントを残しています。

平成の時代も30年目となりました。大きな区切り,節目となる年ですね。

平成の時代に生まれたみなさんは30年目の今年,どんな目標を立てましたか。

3学期はまとめの学期,次年度準備の学期です。

一人ひとりにとって充実した日々に,そして着実なステップアップの日々になるよう今日から志を新たにスタートしましょう。

様々な場面で活躍することを期待します。

将来をしっかり見据えて今を大切に生きてほしい、という思いが伝わってきますね。

秀利さんは自分の息子である結弦選手にも、強い思いを抱いていました。

秀利さんと結弦選手はどういう親子だったのか、二人のエピソードをご紹介いたします。

羽生結弦選手との関係について

羽生結弦選手は父、羽生秀利さんについてこのようにコメントしています。

父は仕事で仙台にいるので、普段は一緒にいるわけではないのですが、常に決まったところに「どーん」と構えている、そんな重みのある存在です。精神的な柱のように家族を支えてくれています。昔はよく怒られたけど、今は見守って冷静にアドバイスしてくれます。

若い頃から教師を続けてきた秀利さんの若者へ対する思いは素晴らしく、時には厳しく、時には見守ってきました。

厳しくしてきたことにより、「鬼」と呼ばれていたこともあるとか。

厳格な教育者であった秀利さんは、結弦選手に対しても決して甘やかすことなく厳しい態度をとってきました。

それは息子である結弦選手に色濃く出ていたことが、上にある結弦選手の発言からわかります。

結弦選手がフィギュアスケートをすることに対して大きく否定はしなかったようですが、どちらかというと野球をしてほしかったのでしょう。

というのも、もともと秀利さんは野球の経験者で、上記でもご紹介したように野球部の顧問でもあります。

その影響もあってか、結弦選手自身も野球が好きなスポーツなのです。

結弦選手は9歳の頃にスケートをやめたい!と思い、代わりに野球をしたいことをご両親に伝えたことがあります。

「スケートが嫌なら辞めていい、野球の方がお金もかからない」

秀利さんも本心ではフィギュアスケートよりも、自分も関わることができる野球をしてほしいと思っていたのかもしれませんね。

金銭面に関しても悩みはつきません。フィギュアスケートって本当にお金がかかります。

  • リングシューズ
  • 衣装
  • リンク使用料
  • 遠征費
  • コーチ代
  • その他諸々…

年間にすると500万以上もかかると言われるスポーツです。

お金持ちのスポーツと言われても否定できない額ですよね。

私の年収より費用のほうが高いかも…そう考えると、お父さんが学校の先生の稼ぎで、結弦選手の姉も含める家族4人を支えながら結弦選手にスケートを続けさせていた…結構きつい時期もあったのではないでしょうか?

そこで想像してください、それを5年間続け成長してきた9歳の息子が「スケートをやめたい」と言ってきたとしたら。

数年間お金をかけてきたのにそれを子供がやめると言い出したら、なんのためにここまでお金を出したのかという思いもあり、続けることを無理強いしてしまうこともあるでしょう。

しかし秀利さんは「無理に続けなくていい」というスタンスでした。

自分の気持を押し付けることなく、本人の主体性を大切にしていたのです。

そして出た言葉が「嫌ならやめてもいい」

そう言われた結弦選手はふと気がついたそうです。

まだ始めて5年たってないくらいだったけど、こんなところで終わらせてしまっていいのかな、僕、もうスケートに人生かけているな

9歳にしてすでにフィギュアスケートに人生をかけていると感じた結弦選手。

そして自主的にフィギュアスケートを続けたいと思い、その後も練習に明け暮れたのです。

秀利さんは、そんな結弦選手の後ろでドンと構えており、そこまで練習に干渉はしないものの、結弦選手が練習しているところに顔を出した時には

「お〜、練習してるな」

と声をかけては、大黒柱らしく結弦選手を鼓舞していました。

私は父親に認めてもらいたい欲求が強かった子供ですから、こう言われてすごくやる気が出たり、頑張ろう!って思う気持ちが凄くわかります。

また、秀利さんは結弦選手がフィギュア練習に熱中するあまり、帰宅が深夜になると、いつも車で迎えに行きました。

金銭的にきつかったとしても、結弦選手が自主的に続けたいと思っているのであれば、それを応援したいという親心がこのエピソードから垣間見えますね。

お金が凄く掛かっていたことは親から言われずとも、結弦選手は気づいていたんだとか。

金銭面でも大変なのは、僕は姉がいたので、うすうす気づきながらやっていました。

続けられることが特別だった。

先生も面倒をみてくれて、育ててくれた。

そういう(特別だという)ことに気づけたから、ここまでこれたのかな。

そう「スケートを続けてこれたのは、親やその他の大勢の人が支えてくれているから」

そういう感謝の気持ちがあったからこそ、結弦選手はたくさんのファンから応援されていますし、オリンピックで金メダルを獲得するに至ったのです。

そして、そんな結弦選手が育ったのも、影で支えてきたご家族の力なんだと、ひしひしと感じで私はすごく感動しています。

「勉強だけは怠るな」

フィギュアスケートを続けていく結弦選手を支えてきた秀利さんですが、唯一口を挟んだのが勉強のことでした。

どんなにフィギュアの練習が大変だったとしても、勉強は続けなさい。

将来は一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい

その言葉には、もし結弦選手が何かあってフィギュアスケートが続けられなくなっても、「何も残らなかった」という状況にならないようにという親心を感じます。

その教えがあってか、結弦選手は遠征のときも勉強道具を持って行動し、大学は「早稲田大学」を選べるほど学力をつけています。

父親の言うことを素直に聞くあたり、結弦選手も秀利さんのことを心から尊敬していて、認めてもらいたいと思っていることがわかりますね。

オリンピックが終わり、母親と一緒に実家に帰った時に迎えてくれた厳格な父親は、その顔の表情を緩め一言、

「ご苦労様でした」

と声をかけました。

この言葉がどれだけ結弦選手の心に響いたことでしょう。

昔はとても厳しかった秀利さんですが、最近は結弦選手が家に帰ってくると優しく接しているのだとか。

その時間が一番素でいられて好きな時間だと結弦選手もインタビューで答えていました。

震災にあった羽生家

秀利さんと結弦選手とのエピソードで私が一番感動したのは、震災後の話です。

震災が起こり、家や食べるものさえなくなり、たくさんの方が命を落として嘆いている状態で、「こんな状態でフィギュアスケートを続けていけない」と考えた結弦選手。

これも結弦選手らしい意見ですね。しかし、そこで秀利さんが結弦選手に伝えたのは今までの「やめてもいい」とは別のものでした。

「こんな時だから続けなさい」

羽生家は全壊、家族4人で小学校の体育館や仮設住宅で避難所など、点々とした暮らしをしていました。

被災したばかりの頃は、ご飯も小さいおにぎりのみだったと言います。

そんな時にスケートなんて言ってられない、と思った結弦選手の背中を押してくれたのが秀利さんで、その時にお父さんが背中を押してくれなかったら、2014年のソチオリンピックでの金メダルもなかったかもしれません。

結果的に、被災地まで届く力強いエールとなり、結弦選手の滑りがたくさんの笑顔を作りました。

これも、結弦選手と背中を押してくれた父親のおかげですね。

いろんな経験をして、そしてたくさんの方の思いを受けて、どんどん大きくなっていく結弦選手の背中に、いつも勇気をもらっていますし、その背中の向こうには偉大な父親の思いがあるのだと知れて、「もっと応援していきたい」と素直に思いました。

あまり会う機会がないけれど

遠征で海外にしばらくいたりすると、校長をしていて地元を離れられないお父さんとは中々会う機会が少ないです。

オリンピックのときも、3日しか一緒にいる時間がなかったようですね。

オリンピックの際のインタビューにも登場しなかったのを覚えています。

マスコミが苦手なお父さんは(先生という立場もあるので、メディアに「羽生結弦の父」として登場するのは嫌だったのかも知れませんね)そのために引っ越しをしたなんて情報もあるくらいです。

メディアに出ない理由は、何もマスコミが嫌という話だけではなく、こんな思いもありました。

「結弦の両親が表に出ないのは、頑張っているのは本人であって、親は関係ないという考えからなんです。

五輪で金メダルを獲得しても『私たちがしゃしゃり出て話すことはない』と言っていましたね。控え目で多くを語らない、お二人とも、まさに東北人の気質を持った両親です」

とにかく結弦選手のことを一番に考えているご両親です。静かに見守りながら影で支えていきたいという気持ちもあるのでしょう。

小さい頃から本人の自主性を大切にしてきた秀利さんらしい思いやりですね。

会う時間は少なくなってしまっていましたが、結弦選手が20歳になった時、お父さんと一緒に「お酒」を成人のお祝いで呑み交わしました。

その場には祖父と従兄弟、そして後から父親も仲間に入ってみんなで飲んだのです。

日本酒は美味しかったが、すぐに酔いが回ってしまって、お酒は体質的に合わないと感じた結弦選手。

しかし、秀利さんは結弦選手と一緒にお酒が飲めたことが嬉しかったことでしょう。

男同士で酒を酌み交わすのは、男の成長を祝う、いわば儀式みたいなものですからね。

たまには二人でゆっくりとした時間を過ごしてほしいなと思います。

まとめ

オリンピックという大舞台で金メダルを2度も獲得した羽生結弦選手、そしてそれを支えてきた父親の秀利さん。

今回、秀利さんのことをまとめているうちに、結弦選手に対して強く生きてほしいという思いを感じました。

教育熱心な方だけあって、今は宮城県公立中学校の校長先生をされているというのも納得がいきますね。

私が思う、秀利さんのすごいところ!を簡単にまとめました。

  • なんでも無理強いせずに、結弦選手の自主性を尊重してきた
  • フィギュアスケートだけでなく、勉強もしっかりするように言い続けてきた
  • 東日本大震災でスケートをやめようとした結弦選手の背中を押した
  • いつも無駄に口出しせずに、一歩下がったところから見守ってきた

こんなに素敵な父親を持った結弦選手は、常に感謝を忘れない素敵な男性に成長しています。

これからも家族と一緒に頑張ってください!