野球

田中秀政の母親が隠していた病気のエピソードに泣ける!父親についても

2018年ドラフト候補で選ばれた田中秀政(たなかひでまさ)選手。

今回はプロ野球選手になることはできませんでしたが、ここまで支えてくれた母親の存在が田中選手にとっても大きな存在でした。

今回は田中選手のご両親やプロ野球ドラフト緊急特番「お母さんありがとう」の内容をご紹介いたします。

田中選手ってどんな人?

  • 名前:田中秀政(たなかひでまさ)
  • 出身地:滋賀県
  • 身長:175cm
  • 体重:80kg
  • 出身高校:明徳義塾高等学校
  • 出身大学:天理大学

野球を始めたきっかけは、母親が野球が好きだったことです。

これまでにこのような成績を残しています。

また、ほとが鳥肌立つほど素晴らしいホームランを打つことも!

田中秀政選手は中学卒業後高知県の明徳義塾へ進学しました。

その頃から支えてくれたのはご両親で、車で5時間半かけて応援に来てくれたのです。

高校3年の夏、甲子園に出場した田中選手、それがどれだけご両親にとって嬉しかったことか。

高校卒業後は天理大学へ進学しました。

試合になると、母親はいつものように応援に!しかし、その影ではとても重い病気を患っていたのです。

入院したときも事実を隠し、足を痛めただけだと伝え、いつものように明るく振る舞っていました。父

親にも口止めして…それもこれも秀政に野球に集中してほしいという我が子を思う気持ちがあったのです。

母親の病気とは?

何度もやめたいと思っても、お母さんの励ましでこれまで頑張ってこれました。

遠く離れても野球がつないだ家族の幸せ…母親が応援に来てくれると田中秀政選手は打てる、母親も秀政選手の応援に行くことが幸せでした。

しかしその頃、悪夢が母親の元に忍び寄っていてのです。

秀政が高校2年生の頃、母は足のむくみと痛みを訴えていました。

病院に行き、告げられたのは糖尿病腎症

糖尿病が原因で腎臓の機能が低下していたのです。

病気はかなり進行していて腎臓が2つともほぼ機能していない状態でした。

すぐに透析を行う必要があると告げられ、透析がなければその時点で母親は死んでしまう状態だと告げられました。

それから週3回病院に通い、透析治療を受けるようになった母親は夫に秀政に病気のことを言うなと口止め。

「あの子には野球のことだけ考えてほしいの」

野球に集中してもらいたいという気持ちがあり、闘病中も母は応援にかけつけいつもと変わらない姿を見せ続けていました。

秀政選手はまさか母親が重い病気にかかっているなんて夢にも思いませんでした。

そして秀政の野球は病気で苦しんでいる母親にとっての生きがいだったのです。

自分の治療よりも秀政の応援を優先した母親は、先生に試合の応援に行きたいと頼み込みました。

その日は透析の日で、先生も止めましたが、

「うちの秀政、私が応援したら秀政は打つんです!」

そう言って応援しに行きます。

息子の活躍が病と闘う母の励みになり、試合後は病院で秀政の話題で盛り上がっていました。

当時を知る看護師は「見た?うちの息子見た?」とすごく喜んでいたと、その頃を振り返っています。

今まで父親にも口止めし、協力してもらいながら黙っていた病気ですが、2017年の秋、感染症を併発し左足の膝から下を切断することに。

同じ病で足を切断した場合、1年後の生存率は55%…不安で仕方なかったことでしょう。

体調は一向に良くならず、命に関わる状態でした。

それでも秀政には病状を伝えることを拒み夫に秘密にするよう頼み込みました。

足を切ったことさえ話さず…しかし、2018年の正月、秀政選手が寮から帰ってくるので、足のことは伝えないわけにはいけなくなります。

「あのね、お母さん左足切っちゃった。膝から下がないんよ。病気治って義足付けたら歩けるようになるから、そしたらまたどこでも応援に行くから」

秀政選手も、最初はすごく心配しましたがあまりに母親が元気で笑顔だったので、まさかそんなに重い病気とは思いませんでした。

「普通に元気に喋ってるし、大丈夫だというから大丈夫だと信じていた」

母の言葉を信じて秀政は野球に全てを注ぎ続けることに

それに母親も安堵したと思いますが、更なる悲劇が母を襲いました。

病状は更に悪化しまた足を切断することに、そして母親は自分はもう長くないと察します。

病院で過ごした透析の時間が長かったのでお友達が何人も亡くなったのを見てきたこともあり、自分の命の終わりに気づいていたのかもしれないと、その時の看護師は話します。

そしてついにこの時が…

「天使が見えたの。お父さん、家をよろしくね。銀行の通帳はテレビの横の戸棚の奥で暗証番号は・・・」

「お父さん、秀政の帰る場所を守ってね。絶対約束やで」

側にいた父親は

「そんな冗談言うな」

と叱咤しましたが、2018年2月13日に母親は天に旅立ちました。

それは秀政選手が野球部の合宿に行く準備をしていた時で、母が亡くなったと父から電話が入り急いで帰宅。

「なんで言ってくれなかったんだよ、もっと見舞いに行きたかったのに、もっと話したかったのに、ごめん母さん」と嘆く秀政選手

「すまんかった。母さんがお前を野球に専念させてやりたいっていうから・・・」

母の病気が命に関わるものだったと秀政はこのとき初めて知らされました。

秀政さんは母が亡くなってから気付かされた事があるといいます。

ドラフト緊急特番「お母さんありがとう」で書いた手紙

天国にいる母に向けて読んだ手紙と、彼が母親のことに対して語った内容の要約をご紹介いたします。

溢れ出す記憶は幸せに満ちていた。

母はどんなときも笑顔で、いつだって自分のことより僕のことを大切にする人だった

お母さんありがとう

こんなにも僕を愛してくれてありがとう

野球を続けることが自分にとってのけじめだと思う

お母さんは天国から野球を続けろと言ってくれてるから、プロになれなくても社会人野球でやっていこうと思ってる

社会人野球からプロになっても遅くないので、またプロ野球志望届を出したい

2018年2月14日 56歳で永眠した母

影で支えた父親について

ドラフト特番ではあまり注目されませんでいしたが、母親の病気を隠さないといけなかった父親はどれだけ辛かったことでしょうか。

母親の気持ちもわかるし、思いは尊重したい。

母がなくなった時には、秀政選手から責められる覚悟もされていたことでしょう。

「すまなかった…!」と秀政選手に謝罪しています。

でも、本当に優しいお父様ですね、これからも二人仲良く頑張っていただきたいです。